PDCA日記 / PDCA Diary

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PDCA日記 / Diary Vol. 444「ゼロリスク思考のリスク」/ "Risk of Zero Risk Thought"

English follows Japanese.

PDCA日記 Vol. 444「ゼロリスク思考のリスク」】

 

私が以前、金融業界で働いて良かったことの一つに、リスク管理への考え方が研ぎ澄まされたことがあります。

 

業界によっても違いますが、いわゆる「出たとこ勝負」的なビジネスを進める会社があったりします。

 

出たとこ勝負によるビジネスは、旧日本軍の無謀な作戦のような結果に終わるケースがほとんどです。

 

ビジネスパーソンにとって重要なこととして、「ナポレオンでも成功体験を引きずった」という歴史を知っておくことかもしれません。

 

そうすることで、「自分は成功体験を引きずっているかもしれない」という仮説を立てることができます。

 

過去の成功体験が大きい組織や個人ほど、「自分は間違えない」という錯覚に陥りがちなものです。

 

今回紹介する資料「ポスト・コロナの学校を描く」は、「子どもも教職員も楽しく豊かに学べる場をめざして」をキャッチフレーズにしており、「ゼロリスクのリスク」部分の以下フレーズが印象的でした。

 

「実は、新型コロナウイルス以前から、学校の困難は、『学校生活のリスクはゼロであった当然』という、いわば『ゼロリスク症候群』にあったと言っても過言ではありません。

 

『ゼロリスク症候群』『ゼロリスク信仰』『ゼロリスク社会』といろいろな言葉があります。

 

ざっくり言えば、こうした言葉の意味するところは同じです。

 

つまり『リスクはゼロにすることができる』『リスクゼロでないと許せない!』『リスクとベネフィットを比較して考えられない』といった考え方や心理状態に多くの人たちが支配されている状況を表します。

 

日本はとくにこの傾向が強いと言われています。

 

ゼロリスクを目指すことは、もちろん正しい方向なのです。

 

しかし、それは目指せど目指せど手に入らぬものであることを忘れてはいけないのです。」(引用終わり)

 

それでは、本日もPDCAを回して行きましょう!   

 

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P.S. 数か月前に、日本政府がイージス・アショアの配備を断念するニュースが流れ、河野防衛大臣(当時)が関係者に涙ながらに説明するシーンが度々放映されました。

 

防衛の専門家以外は分かりにくい話ですが、イージス・アショアを断念した背景には日本人のゼロリスク思考があると私は考えています。

 

色々な意見があると思いますが、ゼロリスク思考は全体最適の観点からすると、非効率なケースがほとんどなのです。

 

アメリカは常に戦争をしている国であり、実際の戦闘経験を持つ元軍人が社会のあちこちに散らばっています。

 

私は密かに、この点がアメリカの強さの源泉ではないかと考えています。

 

軍隊出身者達は、ゼロリスクではなく最小被害を選択する訓練を受けています。

 

分かりやすい例として、アメリカ映画で民間機がハイジャックされ、その飛行機が市街地に墜落しようとしている場面があります。

 

ホワイトハウスアメリカ軍高官達は大統領に対して、「このままでは機内の乗客に加えて、地上でも甚大な被害が発生するため、空中で飛行機を撃墜すべきです」と進言します(ゼロリスクではなく、最小被害を選択しようとしているわけですね)。

 

選挙で選ばれた文民である大統領は、ゼロリスク(機内の乗客を含めた被害ゼロ)を一旦は優先します。

 

ただ、ゼロリスクの達成が困難な場合、大統領は軍人達の進言に従って、最小被害(民間機撃墜)を選択する可能性が高く、映画等でも似たようなシーンが時々出てきます。

 

2001年9月にアメリカで同時多発テロ事件が発生した際、ブッシュ大統領(当時)は空軍に対して、ハイジャックされた民間機がビルや市街地に突入する可能性がある場合、撃墜許可を与えていたことが確認されています。

 

この時の詳細は、「ユナイテッド93」という映画の中で描かれていますので、興味がある方は見てみてください(書籍も出ています)。

 

ユナイテッド93 (字幕版)

ユナイテッド93 (字幕版)

  • 発売日: 2016/04/01
  • メディア: Prime Video
 

 

政府がようやく決断した福島の原発処理水の対応でも、日本人のゼロリスク思考が議論されています。

 

ゼロリスク思考を優先するあまり、莫大なコストを支払う結果になっているという意見があるのです。

 

ゼロリスクと最小被害の選択は政治家や軍人だけに突き付けられたものではなく、我々ビジネスパーソンも判断しなければならない局面が多々あります。

 

この辺りを意識しながら、今回紹介する資料「ポスト・コロナの学校を描く」を読むと、日々の仕事において新しい発見があるかもしれませんね :-)。

 

< Mr. PDCAのボンジュール英語「思考」=「thought」>

  

今回出てきた「思考」の英訳は、「thought」になります。

 

「ゼロリスク思考のリスク」を英語にする場合、「Risk of Zero Risk Thought」とすればよいですね :-)。 

 

 

 

PDCA (plan-do-check-action) Diary Vol. 444 "Risk of Zero Risk Thought"】

 

The material introduced today "Drawing a Post-Corona School (Japanese only)" has a catchphrase "Aiming for a place where children and faculty members can learn happily and abundantly", and the following phrases were impressive in the part "Risk of Zero Risk Thought".

 

"Actually, it is no exaggeration to say that the difficulty of school was the zero risk syndrome before the new coronavirus.

 

There are various words such as zero risk syndrome, zero risk faith, and zero risk society.

 

Roughly speaking, these words have the same meaning.

 

In other words, risk can be reduced to zero and risk must be zero.

 

These thoughts represent a situation in which many people are dominated by the way of thinking and psychological state, such as 'I can't think of comparing risks and benefits.'

 

It is said that this tendency is especially strong in Japan.

 

Aiming for zero risk is, of course, the right direction.

 

But don't forget that it's something you can't achieve zero risk, even if you're aiming for it." (Unquote)

 

Let's function PDCA today!   

 

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