【PDCA日記 Vol. 297「同窓会であって同窓会でない」】
慶應義塾大学の同窓会である「三田会」の結束力は有名です。
今回紹介する資料「慶應三田会の人脈と実力」が「同窓会であって同窓会でない」と解説するほどの組織であり、寄付金があまり集まらない日本の大学において稀有な存在になっています。
私がフランスの大学院に留学していた際、あるフランス人教授が「寄付金の集め方は慶應に学ぶべきところが多い」と述べていたくらい三田会の結束力と資金調達力(?)は絶大なようです。
上場企業の10社に1社は慶應出身の社長で占められていると言われており、経済界で圧倒的な存在になっています。
一方、ビジネスワールドと比較して、政界では慶應出身者の比率が少ないようです(役所仕事が嫌いなのかな?)。
実は、「明治14年(1881年)の政変」が起こるまでは政界でも慶應出身者は活躍していたと考えられています。
1867年の大政奉還を経て、明治政府(太政官政府)が樹立されてから10年以上が経過した1881年、自由民権運動の流れを受けて、憲法制定の動きが日本で高まりました。
そんな中、政権内部である抗争が勃発します。
天皇への大権を認めるビスマルク憲法を支持する伊藤博文などの一派と、イギリス型の議院内閣制の憲法を求める大隈重信、慶應義塾門下生の間で対立が発生したのです。
結果的に、伊藤博文側が勝利して、大隈重信と慶應義塾門下生は政府から追放されることになります。
この後、1890年に天皇が大権を持つ大日本帝国憲法(以下、「明治憲法」)が制定されます。
大権とは、君主が議会の承認なしに権限を行使できることを意味します。
明治の元老たちが睨(にら)みを利(き)かせていた第一次世界大戦くらいまでは、この仕組みが上手く機能していたようです。
しかしながら、1930年に日米英の間でロンドン条約(海軍軍縮条約)が締結されたあたりから、天皇の大権が軍部に都合よく解釈されることになります。
初代首相でもあった伊藤博文の意向を受けて、明治憲法には「首相」どころか「内閣」の文言もありません。
首相や内閣の文言が明治憲法に入ると、伊藤博文は自分がいなくなってしまった後、為政者や政権が天皇の大権を都合よく利用するリスクを感じていたと言われています。
その後、日本は1931年の満州事変、1937年の支那事変に突入していきます。
皮肉なことに、伊藤博文の予想とは違う形(軍部の暴走)で天皇の大権は濫用されることになります。
まあ、こういう政治のゴタゴタに嫌気がさし、慶應義塾門下生は経済界で「利益の最大化」という資本主義社会における合理的な行動に邁進し、今日の不動の地位(?)に辿りついたわけですね。
今回紹介した資料「慶應三田会の人脈と実力」は慶應三田キャンパスの近くにある「ラーメン二郎」のテイクアウト方法(鍋二郎)にも触れるなど、人情味のある内容も満載で、中々興味深い一冊でした。
それでは、本日もPDCAを回して行きましょう!
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P.S. 組織の結束を高める方法の一つとして、中の人間にしか分からない言葉を使うという手法があります。
慶應の場合、学生を「塾生」、卒業生を「塾員」、教授を「君付け」で呼ぶことなど、特有の用語や慣習がたくさんあり、これらも三田会の結束を強めている要因なのかもしれません。
何を隠そう私も塾員(卒業生)なのですが、慶應の卒業生と会う場合、「私も塾員です」と伝えることで、三田会の結束力(?)により打ち解け方のスピードが倍増するように感じています。
また、私が塾生(学生)時代に一番驚いたのは、「医療給付」という慶應独自の医療費補助制度でした。
私が塾生(学生)の時は、病院に行って4,000円支払った場合、領収書を事務室に持っていけば、3,000円が給付される仕組みになっていました。
つまり、病院に1回行って発生する自己負担分は1,000円が上限であり、それ以上は医療給付という形で学校が負担してくれていることになっていたのです。
2018年4月から自己負担分は1,000円から2,000円に上がりましたが、それでも恵まれていますね :-)。
慶應は塾生(学生)が愛校心を持ってくれるような施策を色々と行っており、これが三田会からの巨額の寄付につながっているような気がします💰。
また、試験前に学食で食事をしていると、「民法のノートを持っていませんか?」と見ず知らずの私に話しかけてくる塾生(学生)が結構いました。
他の大学ではあまり見られない光景で、「人類みな兄弟姉妹」という感じの慶應の校風は面白いものでしたね。
この高いコミュニケーション力が、就職活動中にいかんなく発揮されているようです。
「明治14年の政変」で政府から追い出された塾員(卒業生)と同じく、私もビジネスワールドで頑張っていきますわ :-)。
そう言えば、過去のPDCA日記で紹介した「昭和16年夏の敗戦」に登場した「総力戦研究所」の青年たちは戦後、誰一人として政治家になりませんでした。
彼らも政治への限界を感じたのかもしれませんが、その後ビジネス界で大きな成功を収めることになります。
「昭和16年夏の敗戦」は著者の政治的見解が見え隠れしますが、日本の組織が失敗に陥る法則を示唆しており、ビジネスパーソンには是非読んでほしい一冊です。
<Mr. PDCAのボンジュール英語「同窓会」=「reunion」>
今回出てきた「同窓会」の英訳は、「reunion」になります。
「Mr. PDCAは同窓会に行かないことで有名である」を英語にする場合、「Mr. PDCA is famous for not going to the reunion」とすればよいですね :-)。
The cohesive strength of "Mita-kai," which is a reunion of Keio University, is well-known in Japan.
The material introduced today "Keio Mita-kai's Personal Connections & Abilities (Japanese only)" describes this reunion as an organization that "it is a reunion, but different from the reunion".
Keio University is receiving a lot of donations from its graduates and it is a rare presence in Japanese universities, because other universities cannot gather donations much.
When I was studying at a graduate school in France, a French professor said that there are many things to learn from Keio for gathering donations from graduates.
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