PDCA日記 / PDCA Diary

継続は創造だ! / Continuity is Creation!

PDCA日記 / Diary Vol. 605「日露戦争の勝利要因」/ "Victory factors of the Russo-Japanese War"

English follows Japanese.

PDCA日記 Vol. 605日露戦争の勝利要因

 

1904年に始まった日露戦争は、日本の勝利という予想外の幕切れとなり、この結果は世界中で大きく報道されました。

 

当時、ロシア帝国に抑圧されていた東欧諸国で、日本勝利の報に対して特に驚きの声があがったとされています。

 

日露戦争では、東郷平八郎などの軍人が活躍したことはもちろんですが、金子堅太郎陸奥宗光をはじめとした当時の日本政府首脳は「1年以内に戦争を終わらせる」ということを常に考えながら、外交、財政などあらゆる戦略を練ったと言われています。

 

日露戦争のことを深く知りたい方は、「坂の上の雲」と「ポーツマスの旗」という本を手に取ってみてください。

 

坂の上の雲」は有名な作品ですが、日露戦争のこと以外の記載もあります。

 

坂の上の雲」には正岡子規高浜虚子などの詩人も登場し、読み物としても面白いですね😊。

 

合本 坂の上の雲【文春e-Books】

合本 坂の上の雲【文春e-Books】

 

 

ポーツマスの旗」は、日露戦争の休戦交渉に当たっていた小村寿太郎外務大臣(当時)のチャレンジングな日々を描いています。

 

ポーツマスの旗

ポーツマスの旗

 

 

1904年に始まった日露戦争は、日本海海戦日本海軍の連合艦隊ロシア帝国海軍のバルチック艦隊を全滅させたことで、1905年に日本が有利な状態で講和交渉を行う素地が整っていました。

 

当時のロシア帝国には戦力が残っていましたが、国内で革命の機運が高まっていたこともあり、日本との講和が必要な状況でした。

 

辛うじてポーツマス条約締結にこぎつけた小村寿太郎でしたが、賠償金のない講和であったことから、日本国内のメディアや世論から総攻撃を受け、日比谷焼打事件が発生します。

 

明治の元老だった伊藤博文や陸軍大将の児玉源太郎は、当時のロシアから賠償金を取ることは難しいことを理解していました。

 

ただ、新聞などのメディアは日露戦争の状況を「日本側の連戦連勝」と報じていました。

 

メディア操作もあって、日本にこれ以上戦う余力がないことを多くの人は知らされていなかったのです。

 

当時の日本は現在のような民主国家ではなく、選挙権があったのは人口のたった1パーセント程度でした。

 

現在のように18歳以上の全ての日本人が選挙権を持っていれば、不人気な政策を実行する政府は選挙で交代させられることになります。

 

ただ、当時の日本は政権交代が発生するような状況ではなかったため、ポーツマス条約締結のような不人気な判断ができたと言えるかもしれません。

 

この辺りは色々な意見があると思いますので、意見がある方はお気軽にコメントください😊。

 

今回紹介する資料「日本政治史 -- 外交と権力 増補版」は、日露戦争を含め明治維新後の政治の動きを詳しく解説した良書です。

 

「一寸先は闇」と呼ばれる政界について理解を深めてみたいと考えていたり、政治を変えたいと感じている人におすすめの一冊です。

 

今回紹介する資料「日本政治史 -- 外交と権力 増補版」を読めば、日露戦争時はあれだけの外交力を発揮した日本政府が、太平洋戦争でなぜあれだけ多くの失敗を犯してしまったのかを考えることもできます。

 

また、「令和幕府」や「永遠の与党」と呼ばれる自民党による支配についても、今回紹介する資料「日本政治史 -- 外交と権力 増補版」は解説しています。

 

色々な意味で、今回紹介する資料「日本政治史 -- 外交と権力 増補版」は教養を高めてくれる一冊ですね😊。

 

それでは、本日もPDCAを回して行きましょう!   

 

PDCA日記が更新されたら通知が欲しいという方がいましたので、そのような場合は Twitter をご利用ください😊。https://twitter.com/MPdca 

 

日本政治史 -- 外交と権力 増補版

日本政治史 -- 外交と権力 増補版

  • 作者:北岡 伸一
  • 発売日: 2017/06/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

P.S. 日露戦争で日本が勝つ可能性は、太平洋戦争で日本が勝つ可能性とそれほど変わらなかったという歴史家がいます。

 

日露戦争で日本がロシアを打ち破った理由は、「戦争の終わらせ方」を考えていた首脳が日本政府にいたからであると私は考えています。

 

太平洋戦争の場合、「戦線拡大の方法」だけを考える人ばかりで、「戦争の終わらせ方」を考えている人が首脳陣にいなかったことが致命的だったのでしょう。

 

 < Mr. PDCAのボンジュール英語「要因」 = 「factor」>

 

今回出てきた「要因」を英語にする場合、「factor」になります

 

日露戦争の勝利要因」を英語にすると、「Victory factors of the Russo-Japanese War」となりますね😊。

 

日本政治史 -- 外交と権力 増補版

日本政治史 -- 外交と権力 増補版

  • 作者:北岡 伸一
  • 発売日: 2017/06/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

PDCA (plan-do-check-action) Diary Vol. 605 "Victory factors of the Russo-Japanese War"
 

The Russo-Japanese War, which began in 1904, ended unexpectedly with Japan's victory, and the results were widely reported around the world those days.

 

At that time, it was said that there was a particular surprise in Eastern European countries that had been oppressed by Russia.

 

Not to mention that military personnel such as Heihachiro Togo were active, but the Japanese government leaders at the time, including Hirofumi Ito and Munemitsu Mutsu, considered the strategy of the Russo-Japanese War, always thinking about when and how to end the war.

 

The material introduced today "Japanese Political History-Diplomacy & Power (Japanese only)" is a good book that explains in detail the political movement after the Meiji Restoration in 1868 including the Russo-Japanese War.

 

This book is recommended for those who want to deepen your understanding of politics.

 

Let's function PDCA today!   

 

In case you would like to receive a notice at the time of PDCA Diary post, please utilize Twitter😊. https://twitter.com/MPdca  

プライバシーポリシー・お問い合わせ