【PDCA日記 Vol. 667「日本で最も豊かだった地域」】
日露戦争で日本がロシアに勝つ確率と、第二次世界大戦で日本がアメリカに勝つ確率は「それほど変わらなかった」という方とこの間お話しました。
私は日露戦争を研究していたことがあり、当時の日本の国力でロシアに勝つ可能性が非常に低かったことは事実でしょう。
そんな中、1905年に日本がロシアを破り、当時の世界を驚かしたことはよく知られています。
当時の日本政府首脳は外交、財政などの方面であらゆる方策を取り、「どうやって戦争を終わらせるか」と常に考えていたと言われています。
第二次世界大戦で日本が敗れた理由として、大著「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」が詳細を説明しています。
今回紹介する資料「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、終戦の1945年8月15日以降も続いた樺太での戦闘を解説しており、「わずか2週間で失われた宝の島」部分の以下フレーズが印象的でした。
「北海道の北方に位置し、広大な面積を持つ島、樺太。
1905年、日露戦争に勝利したことでその南半分が日本の領土となった。
それから40年後、樺太は日本で最も豊かな地域であったという。
国は樺太の開発を進めようと、公務員の給与水準を高く設定していたため、全国の農村から若くて優秀な若者たちが学校の教員などとして数多く押し寄せていた。
人口増加が続いた結果、日本最大の生徒数を誇る小学校まで誕生していた。
人口約40万人。」(引用終わり)
それでは、本日もPDCAを回して行きましょう!
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P.S. シンガポールが発展した背景として、優秀な官僚を集めるため役所のオフィスの空調をきかせて、涼しい環境を整備したことがありました(今でもシンガポールのオフィスは、どこも涼しい🐧)。
戦前の樺太では、公務員の給与水準を高めに設定したことによって、優秀な若者を集めたことを今回紹介した資料「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は説明しています。
第二次世界大戦で日本が敗れた理由の一つに、指揮命令系統の混乱があったと言われています。
終戦の1945年8月15日、大本営から「即時戦闘行為を停止すべし」という指令が出ました。
しかしながら、翌日の8月16日に札幌第5方面軍から樺太第88師団に対して、「樺太を死守せよ」という大本営とは正反対の命令が続き、8月25日にソ連が南樺太の占領を完了するまで戦闘が続いたことを今回紹介した資料「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は解説しています。
この背景には、8月16日、スターリンが北海道の北半分をソ連領とすることを連合国軍に提案し、当時のアメリカ大統領だったトルーマンが、ソ連の提案を8月22日に拒否したことがあったようです。
北海道の北半分をソ連が占領しようとしていたことは、歴史書でよく語られています。
一方、終戦後も樺太で戦闘が行われていたことは、あまり知られていません。
今回紹介した資料「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、色々な意味で歴史書を読むことの重要性を感じた一冊でした。
< Mr. PDCAのボンジュール英語「押し寄せる」=「rush」>
今回出てきた「押し寄せる」の英訳は、「rush」になります。
「全国の農村から若くて優秀な若者たちが学校の教員などとして数多く押し寄せていた」を英語にする場合、「Many young and talented young people rush from rural areas as school teachers」とすればよいですね😊。
It is well known that Japan defeated Russia in 1905 and surprised the world at the time.
The leaders of the Japanese government at that time took all sorts of measures, including diplomacy and finances by saying that "How to end the war."
The material to be introduced today "The Tragedy for Seven Days after the End of the Battle of Sakhalin (Japanese only)" describes the battle in Sakhalin that continued after the end of the war on August 15, 1945 and the following phrases were impressive.
"Sakhalin is a vast island located north of Hokkaido.
In 1905, after victory in the Russo-Japanese War, the southern half of Sakhalin became Japanese territory.
Forty years later, Sakhalin was said to be the richest region in Japan.
The Japanese government has set a high salary for civil servants in order to promote the development of Sakhalin, and a large number of young talented people have come from rural areas of the country as school teachers.
As a result of the continued population increase in religion, elementary schools with the largest number of students in Japan were born.
The population was about 400,000." (Unquote)
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