PDCA日記 / PDCA Diary

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PDCA日記 / Diary Vol. 1,808「軍隊は胃袋で進む」/ "An army runs on its stomach"

English follows Japanese.

PDCA日記 Vol. 1,808「軍隊は胃袋で進む」

 

私の最後の学校はフランスだったのですが、社会のあちこちでナポレオンの存在を感じていたものです。

 

私の留学先はグランゼコールと呼ばれる教育機関だったのですが、この仕組みは元々ナポレオンが作ったものでした。

 

フランスの場合、高等教育機関グランゼコールと一般的な大学に分かれています。

 

グランゼコールの卒業生が民間企業に就職すると課長クラスから始まり、一般的な大学卒業生よりも高い初任給を受けとることになります(約3倍程度)。

 

日本の場合、どの大学を卒業しても初任給は同じケースが殆どです。

 

出身大学によって初任給は違うのはフランスだけでなく、アメリカ、インドも似たような環境です。

 

「日本は学歴社会ではない」という意見がある背景には、「どの大学を出ても初任給が同じ」という事実があるわけですね。 

 

今回紹介する資料「食べ物でたどる世界史」は「もうひとつの世界史」をキャッチフレーズにしており、以下のフレーズが印象的でした。

 

「総勢45万のナポレオン軍は1812年6月下旬、ロシア領内に侵攻した。

 

携行していたのは24日分相当の食料だった。

 

兵各人が4日分の配給を背負い、残りは幌馬車に積んでいた。

 

問題はそのほぼ直後に発生した。

 

自ら携行していた配給分を食べ尽くすと、兵たちはその土地のものでしのぐしかなかった。

 

フランス軍が侵攻を続ける一方、ロシア勢は後退し、各々の持ち場を捨てて、モスクワに向けて後退していった。

 

ナポレオンはモスクワ周辺の土地はもっと豊かであり、兵士の食料を確保できるはずだと考え、それゆえ前進を続けたが、後退するロシア勢はその途上の町や村を丸裸にし、補給物資をすべて処分していった。

 

結果、フランス軍は急速に弱体化していった。

 

飢えのせいで衰弱していた兵たちが次々と病の餌食になったからだ。

 

残った10万人の軍勢を率いてモスクワに入ったナポレオンは、街には必ず老人たちが残っているものとばかり思っていた。

 

だが、その当ては大きく外れた。

 

街はすでに放棄されており、自軍への補給物資の調達を仕切る民政はもはやどこにもなかった。

 

フランス軍が到着したときにはすでにあちこちで火の手が上がっており、間もなく大火となったそれらは街の4分の3と備蓄食料の大半を焼き尽くした。

 

街を捨てる際、モスクワ市民らは火を放っただけでなく、消火器具もすべて破壊していった。

 

1812年12月、最終的にロシアから退却できたのはナポレオンの主力部隊、総勢45万人のうち、わずか2万5千人前後だけだった。

 

ナポレオンはその前から敗北しており、無敵との神話は粉々に崩れ去っていた。

 

ナポレオンの兵站術は彼を欧州大半の支配者にする一助となったが、ロシアでは大失態の原因となり、その失墜の始まりを告げるものとなったのだ。」(引用終わり)

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戦争に関する名言で、「素人は戦術を語り、玄人は兵站を語る(話者不明)」があります。

 

ナポレオンは食料について、以下のようなコメントを残しています。

 

「欧州の命運とその先のあらゆる未来図は食料問題にかかっている。私にパンさえあれば、ロシア勢を倒すことなど造作もない。」(ナポレオンのコメント終わり)

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ナポレオンと言えば、凱旋門を思い浮かべる人が多いかもしれません。

 

凱旋門は、アウステルリッツの戦い(1805年)に勝利した記念に1806年、ナポレオンの命によって建設が始まりました。

 

凱旋門は1836年に完成しましたが、ナポレオンはその15年前(1821年)に死去しています。

 

ナポレオンは、缶詰の発見にも携わっています。

 

ナポレオンは食料の長期保存方法を公募し、シャンパン用の瓶に食品を密封して保存する方法を開発したニコラ・アペールに最初の懸賞金を与えています。

 

ニコラ・アペールは1804年に長期保存可能な瓶詰めを発明し、これが缶詰の基本原理になります。

 

これまたナポレオンの死後ですが、缶詰食品は1830年に一般にも売り出され、トマト、エンドウ、イワシが長期保存可能な新しい形の食品として手に入るようになりました。

 

フランスにおける一般向け缶詰の売上は、最初は低調だったようです。

 

現在の缶詰は工場で大量生産されていますが、1800年代前半のフランスにおける缶詰はひとつひとつ手作りされたため、非常に高価だったからです。

 

遠征を繰り返していたナポレオンは、栄養豊富で美味しい食事を確保することが、 兵士達の士気の維持、高揚に不可欠だと考えていたのでしょう。

 

「軍隊は胃袋で進む」原則をナポレオンは誰よりも理解していたはずですが、ロシア遠征では「軍隊が胃袋で止まる」という結果になってしまいました。

 

人間は成功体験を引きずるものですが、ナポレオンも人間だったということですね。

 

それでは、本日もPDCAを回して行きましょう!   

 

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< 本日のボンジュール英語「懸賞金」 = 「bounty

 

今回出てきた「懸賞金」の英訳は、「bounty」になります。

 

「最初の懸賞金を与える」を英語で表現する場合、「Give your first bounty」とすればよいですね😊。

 
PDCA (plan-do-check-action) Diary Vol. 1,808 "An army runs on its stomach"
 

The material introduced today "An Edible History of Humanity" has the catchphrase "Another World History," and the following phrase was particularly memorable:

 

"Napoleon's army of 450,000 men invaded Russian territory in late June 1812.

 

They carried 24 days' worth of food.

 

Each soldier carried 4 days' worth of rations on his back, and the rest was in the wagons.

 

Problems arose almost immediately.

 

After eating all the rations they had brought with them, the soldiers had no choice but to survive on what they had left.

 

While the French army continued its advance, the Russians retreated, abandoning their posts and retreating towards Moscow.

 

Napoleon believed that the land around Moscow was more fertile and would be able to feed their soldiers, so they continued to advance.

 

But the retreating Russians denuded towns and villages along the way and disposed of all supplies.

 

As a result, the French army was rapidly weakened.

 

The soldiers, already weak from hunger, fell victim to disease one after another.

 

Napoleon entered Moscow with the remaining 100,000 troops and he assumed that the old men would still be there.

 

But he was wrong.

 

The city was already abandoned, and there was no civil administration to manage supplies for his troops.

 

When the French arrived, fires were already breaking out in places, and soon a conflagration burned three-quarters of the city and most of its food supplies.

 

When abandoning the city, Muscovites not only set fires, but also destroyed all firefighting equipment.

 

In December 1812, only about 25,000 of Napoleon's main army, a total of 450,000 men, were finally able to retreat from Russia.

 

Napoleon had already been defeated, and the myth of his invincibility was shattered.

 

Napoleon's logistics skills helped him become the ruler of much of Europe, but they caused his major blunders in Russia, marking the beginning of his downfall." (Unquote)

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